編集部
一人ひとりと向き合う仕事を求めて【後編】
圓岡悦子さん
(鍼灸師・看護師、クリアースプリング鍼灸院経営)
シルバースプリングにクリアースプリング鍼灸院を昨年開設した鍼灸師の圓岡悦子さん。ここに至るまでの道のりを訊いた。(聞き手・本紙編集長武末幸繁)
ここにたどり着くための道のりだったと思える
ーメリーマウント大を出られてからは?
卒業後は、ジョンズ・ホプキンス病院の血液腫瘍科病棟で、1年間ほど看護師として働きました。その後、2001年にモンゴメリー郡の学校保健課に就職し、スクールナースとして働き始めました。2000年に最初の結婚をして、4年後に息子が生まれ、出産後8週間で仕事に復帰しました。息子を朝早くから保育所に預けながらの仕事復帰は大変でした。ただ、スクールナースの仕事は好きでした。特に最後に担当した高校では、ウエルネスセンターといって、保健室、クリニックと青少年育成センターが併合されている特別な設定で、医療スタッフ、メンタルヘルス・セラピスト、青少年育成カウンセラーなどいろいろな職種の方々と共にチームで生徒さん達をサポートしました。とても忙しかったですが、やりがいのある仕事でした。
ーやりがいがあったけど辞められた?
2013年に、それまでの経験が評価され、同じ学校保健課でナースマネジャーとして働くという新たなチャレンジの機会が与えられました。当初はやりがいを感じ、意味のある挑戦だと信じて頑張っていましたが、次第に管理という仕事自体に疑問を感じ始めました。改めて自分を見つめなおし、やはり私が満足を得られるのは、間接的にではなく、直接患者さんやクライアントと関わる仕事なのだということに気づきました。
この頃から少しづつ方向転換は始まっていたと思います。第一歩として管理から離れることを決意し、2016年に地域保健課に移り、3年ほど保健師として働きました。
ー鍼灸師になろうと思ったのはなぜですか?
両親の影響もあり、元々東洋医学には興味がありました。実は、メリーランド・ユニバーシティー・オブ・インテグレーティブ・ヘルス(MUIH) へは、入学を決意する5年前に訪ねて行った事があるのです。その時、東洋医学、アユルベーダ、ヨガセラピーをはじめ、いろいろなホリスティックヘルスの分野が学べることを知りました。その時点では息子が小さかったこともあり、断念しました。後に背中を押されるきっかけになったのは、鍼灸師のロビン・ゴードン先生に出会ったことが大きいです。花粉症に悩まされて治療を受けに行ったわけですが、毎週通っていると鍼の力ってそれだけじゃない、あらゆる面でサポートになるということがわかってきました。仕事上のストレスが溜まっている時も鍼治療を受けて心が落ち着き、新たな気持ちで難関に立ち向かうことができました。
やっぱり心と体は表裏一体で、体が良くなれば心も楽になってくるし、心が元気になってくると体調も良くなる。私がやりたかったのはこういった事の手助けをする事だったんだと感じるようになりました。とは言え、長い間かけて確立した職業を離れ、新しい分野に飛び込むというのは、正直怖かったです。それでも、最終的には2019年に思い切って仕事を辞め、MUIHの大学院に入学しました。
その後3年半ほど学業に専念し、2022年に卒業して、鍼の免許を取りました。そして2023年の初め、鍼灸院を開いたわけです。選んだと言いますか、振り返ってみれば、それまでの色々な経験も、ここにたどり着くための道のりだったんだなという気がします。患者さんと向き合って、その方の苦痛が少しでも和らぎ、より健康に生きていけるようにお手伝いすることは本当にやりがいがありますね。
心と体の総合医療鍼治療を普及させたい
ー診療はどういう感じなのでしょうか。
もちろん鍼とお灸が中心ですが、カッピングや遠赤外線ランプを併用したり、必要に応じて電気鍼療法も使っています。鍼といえば、一般的には痛みの治療がよく知られているようですが、実はもっと広範囲に適応できるのです。例えば、慢性疲労、不眠症、生理不順、更年期障害、不安症状、消化器系や呼吸器系疾患などです。鍼のいいところは、例えば膝が痛くて来られたとしても、膝の治療が進む過程で、気持ちが軽くなったとか、夜眠れるようになったとか、エネルギーが湧いてきたなど、その他の良い効果も徐々に現れてくるところだと思います。それは、鍼治療がただ単に、部分的な支障を取り除く事だけに焦点を置いているのではなく、その方全体がより健康になり、ご自身の自然治癒力を最大限に生かせるようお手伝いする事も目的としているからだと思います。先ほどお話しした、心と体が表裏一体だという事は、日々患者さんと向き合わせていただく中で新ためて強く感じることですし、治療の指標として大切にしています。
ー患者さんはどんな方が多いですか?
いろいろな年齢層の方がいらっしゃいます。鍼に恐怖心を持っていらっしゃる方にも、その方がリラックスできる方法で対応させていただいています。日本人の鍼灸師を探して来られることもあり、今のところ患者さんの約3割が日本の方ですね。
米国ではここ20年くらいの間に鍼治療への理解がより深まってきていると思います。研究発表なども増えていますし、WHO(世界保健機構)も100種類を超える疾患や症状に、鍼の適応を奨励しています。私の鍼灸院にも、お医者さんから鍼を勧められて来たという患者さんがよくお見えになるようになり、健康保険が使える場合も多くなってきています。これからももっと理解が深まり、より多くの方が気軽に鍼治療が受けられるようになっていくといいですね。
ーありがとうございました。
圓岡悦子(まるおか・えつこ) プロフィール
1966年、山口県山口市生まれ。1988年、山口赤十字看護専門学校卒業。看護師として地元の日赤病院に勤務。1992年のセビリア万博で国際赤十字のボランティア活動。国際救護員としてのトレーニングを受け、93年には公衆衛生の仕事でスリランカに半年間派遣される。96年、米国に留学し、メリーマウント大学を99年に卒業。看護学 学士号取得。ジョンズ・ホプキンス病院勤務を経て、モンゴメリー郡の学校保健課に入りスクールナースを12年間務める。その後、3年半、学校保健課のナースマネジャーとして勤務、3年間地域保健課勤務を経て、2019年にメリーランド・ユニバーシティ・オブ・インテグレーティブ・ヘルス(MUIH)に入学し鍼灸や東洋医学を学び、鍼の修士号取得。卒業後、23年にシルバースプリングにクリアースプリング鍼灸院を開設。家族は夫と息子一人。
鍼灸院のウェブサイトはwww.clearspringacupuncturemd.com
11 連帯感の表明の仕方
12月は通常、ホリデーパーティーや忘年会に出たり、家族と時間を過ごしたりする楽しい時期です。しかし今年は、特に米国に住んでいれば、来年に向けて不安を抱えている方も多いでしょう。先月次期大統領が決まったことで、早くも女性や黒人の方に対する差別が学校の子供たちの間でも蔓延していると報じられています。政治的意見はどうあれ、マイノリティーである限り、私たちの誰もが憎悪や暴力の対象になりかねません。今回は、こういった状況でどのように互いを慰め、連帯感を表明すればよいかについて取り上げます。
米国における政治的分断は悪化する一方ですが、普段付き合いのある人と大体考えが似ているのは、悩みを共有しやすいという意味ではありがたいことです。具体的な話に入るほどの親しさでなくとも、ちょっとしたやり取りの中で、There’s a lot going on, but I hope you’re hanging in there. と一言足したり、I’m here if you’d ever like to talk about anything. We’re all...
第4回 膝の痛みの原因と予防法
一言で膝の痛みと言っても、外部からの大きな衝撃によって生じる靭帯断裂や膝蓋骨骨折などの急性的なものから加齢に伴って起きる骨の変形性による膝の痛みなど様々です。
特に50代以降の膝痛は、急性の症状とは異なり、立ち上がる時だけに痛みを感じ始め、膝を曲げる、伸ばす動作が困難、ランニングができない、歩くときに痛いなど徐々に日常生活に支障が出てくるのが特徴です。悪化すると膝の関節にある軟骨が老化により少しずつすり減って、結果として変形性膝関節症を発症する場合もあります。とくに中高年に多く、女性の発症率が男性よりも多いです。
その要因として、加齢による骨密度の減少、特に更年期後の女性は、女性ホルモンの1つ、エストロゲンが減少します。エストロゲンは骨の形成を促し、骨の吸収を抑える働きがあり、その結果、骨密度が減り、関節症になりやすくなります。その他の原因として体重過多による膝への負担、車の修理工やガーデニングなど、仕事や趣味による長時間、長期間作業で生じる膝への負担、また骨折、靱帯や半月板損傷などの外傷の後遺症として発症することもあります。
アメリカの整形外科では痛み止めやステロイド注射を打って一時的に痛みを取り、その後、リハビリを行って、膝周辺の筋肉を鍛え、同時に可動域を改善させます。特に重要なのは、膝のまわりの筋肉をストレッチと筋力強化で整え、なるべく膝関節に負担をかけないようにすることです。
大腿四頭筋(図1)は膝関節のの伸展においてとても重要な筋肉です。この筋肉が弱いと膝が曲がってしまい、歩行動作に影響を与えるので、しっかり鍛えておきましょう。図6のスクワットは、両足を肩幅よりやや広げて、なるべく膝をゆっくり深く曲げて、10回、3セットを目安に行います。四頭筋と共に臀部の筋肉も鍛えられ、膝の動きと深く関係する骨盤も安定させるので、ぜひ行ってみて下さい。
大腿四頭筋以外にも3つの筋肉が膝関節に付いています(図2)。これらの筋肉が硬いと膝関節が正常な位置に安定しないのでこの3つの筋肉のストレッチも重要です(図3〜図5)。ハムストリングスは太ももの裏側に付いている筋肉で膝の裏まで伸びている長い筋肉です。この筋肉が硬いと、股関節の可動域が減り、足が前に出にくくなり、膝に負担がかかるので、しっかり伸ばしましょう(図5)。
最後に骨盤が歪んでいると足の長さに左右差ができ、どちらかの膝に負担がかかります。長期間そのままの状態で、運動をしたり日常生活を続けていると後々、股関節、膝関節の関節症を発症させる要因にもなりますので、痛みがなくても定期的に専門家にチェックしてもらうことをお勧めします。
* * *
ドロリンガー真紀
カイロプラクティック大学卒業後、カルフォルニア、ワシントン州で豊富な臨床経験を積み、その後、ユタ州での開業を経て、2022年より、テキサス州ヒューストンに Pro Relief Chiropractic をオープン。テキサス州公認カイロプラクター。ガー真紀
カイロプラクティック大学卒業後、カルフォルニア、ワシントン州で豊富な臨床経験を積み、その後、ユタ州での開業を経て、2022年より、テキサス州ヒューストンに Pro Relief Chiropractic をオープン。テキサス州公認カイロプラクター。
2024年12月号(第358号)
今週のデジタル版を読む
紙面から
パスポートが仕様変更 (2面)
トランプ氏の起訴取り下げ (3面)
新トランプ政権の移民法政策 (4面)
球場名はダイキン・パークに命名 (5面)
インタビュー:圓岡悦子さん(後編) (11 面)
一人ひとりと向き合う仕事を求めて【前編】
圓岡悦子さん
(鍼灸師・看護師、クリアースプリング鍼灸院経営)
シルバースプリングにクリアースプリング鍼灸院を昨年開設した鍼灸師の圓岡悦子さん。ここに至るまでの道のりを訊いた。(聞き手・本紙編集長武末幸繁)
看護師だった25歳の時赤十字での活動が転機に
ー日本で看護師だったそうですね。
はい。私は山口県山口市生まれですが、地元の高校を卒業後、看護学校に入り看護師になりました。看護の道を選んだ主なきっかけは、高校卒業前、祖母が末期癌の診断を受け、闘病中の祖母の苦しみを、何とか和らげてあげたいと強く感じたことです。また、背景には、私が中学校の頃に母が准看学校に通い始め、資格を取って准看護師として働きながら、私たちを育ててくれたということもあると思います。
看護学校卒業後、地元の日赤病院で看護師として働き始めました。そして1992年、25歳の時、日赤の本社からスペインのセビリア万国博覧会、国際赤十字・赤新月パビリオンでのボランティア募集のチラシが回ってきたのです。まさかとは思いながら思い切って応募したところ運よく選ばれたのが、すべての始まりだった気がします。
参加には、最低限英語が喋れることが条件だったので、出発に向けて一生懸命勉強しました。それでも、実際にその生活に飛びこんだ時は苦労しました。ユースホステルで生活を共にしたのは、世界各国から集まった100人のボランティアでした。最初のうち、言葉が聞き取れないのが何より辛かったです。大勢の中にいても孤独を感じることも多くありました。そうするうちに、少しづつ馴染んでいき、2か月間の滞在中、なんとかコミュニケーションが取れるようになりました。
セビリア万博での活動は、世界各国から訪れた一般人に国際赤十字赤新月連盟と、赤十字国際委員会の理念や活動を広める仕事でした。パビリオンの前で、歌やパントマイムを通して活動を紹介したり、パビリオン内にお客さんを案内したりしました。
この企画のもう一つの目的は、共同生活とグループ活動を通して、ボランティア同士がつながりを強め、国際協力の必要性を身近に感じ、将来の活動に生かしていくことだったと思います。私も実際、すごく感化されました。一緒に生活する同年代の仲間達から、それぞれの母国での紛争や、厳しい貧困の状況などの話を直に聞くことは、ニュースを見るよりも格段に現実的で、身に迫るものがありました。将来私も、最低限の安全や健康も保障されていない国々の人の為に、何かをしてみたいという気持ちが高まりました。
帰国後、日赤の本社で国際救護員としてのトレーニングを受けて、派遣員として登録しました。その後、実際に派遣の依頼が来て1993年12月から翌年5月までの6か月ほど、スリランカに公衆衛生の仕事で派遣されました。私は、コロンボにあった連盟代表部に所属し、保健代表(プライマリーヘルスケア担当)として、仕事をしました。直接の上司はフィンランド出身の方でした。仕事は基本的に英語で行いました。地方を訪ねる時は、その地域の赤十字支部の職員、地域保健委員の方たちと協力して仕事をしていましたので、その方たちが現地語との通訳も兼ねてくださいました。
ー公衆衛生の仕事とはどのようなものだったのですか。
私たちはプライマリーヘルスケアというプロジェクトに携わっていました。そのプロジェクトでは、スリランカの中でも特に貧しく医療を受ける機会の少ない36地域が選ばれていて、その地域の住民の健康増進を促すのが目的でした。その為、安全な飲料水が手に入るように、コミュニティーの井戸を作ること、各家庭にトイレを設置することなどをはじめ、あらゆる具体的な企画がありました。知識普及も重大な要素で、家庭訪問や母親学級なども企画に含まれていました。
ところが、これらの企画の進行が滞っているのが問題でした。私の主な仕事はスリランカの各地に散在する、プロジェクト対象地域を訪ねて行って、企画の進行状況の把握と停滞の原因の調査をして、代表部に報告することでした。対象地域はコロンボから、遠いところだと車で9時間かかるところもあり、私はドライバーと二人だけで、遠距離の旅を繰り返す日々を過ごしました。時には、紛争地域内まで足をのばすこともありました。
難しかったのは、地域のスタッフやボランティアの活動意欲の低下でした。企画の進行中、予算などの問題が生じて計画倒れになり、スタッフが失望するケースが少なくないのも一つの理由でした。私は地域で調査した結果をこまめに代表部に報告しました。代表部ではそれを一つ一つとりあげ、解決方法を模索し、企画の調整をしてくれました。その結果、解決策や新たな援助が地域に届くにつれてプロジェクトの滞りが少しづつ改善していきました。
こうした、調査、報告、会議、問題解決、地域への支援という一連のサイクルを繰り返す経験を通して、私は人々の健康増進への意欲づくり、意欲維持について深く考える機会が与えられた気がします。そのことが、後になってスクールナース、地域保健、最終的には鍼灸師の仕事に携わっていく上での基盤になったと思っています。
米国に行くことを決意母親に助けられ無事卒業
ー日本に戻られてからはどうされたのでしょうか。
スリランカに滞在中、将来も同じような仕事を続けたかったので、上司に相談したところ、彼女は、看護、または公衆衛生や国際保健の分野で学士、さらには修士を取ることを勧められました。また、英語で勉強できる場所がいいともアドバイスしてくれました。実際に、スリランカでの仕事は、相当量の報告書を英語で書かなければならず、辞書を引きながら、睡眠を削っての報告書作成は、かなりの苦労でした。自分でも、語学力を磨いて、より良い仕事ができるようになりたいと思っていましたので、その頃から留学のことは考えていました。
ポストミッション・インタビューではジュネーブの国際赤十字赤新月連盟本部にも行きました。本部の方も親身になってアドバイスをしてくださいました。とは言え、日本に帰った時点では、留学とは夢のような話でした。日赤病院で働きながら、2年間かけて地道に準備をしました。
インターネットもなかった時代なので、どこから手を付けていいのかもわかりませんでしたが、とりあえず書店で留学マニュアルを手に入れました。あとは、ジュネーブで勧められた大学や、紹介していただいた人物に、手書きの手紙も国際郵便で送りました。今の時代では、信じられないような話なのですが、日数がかかっても丁寧に手書きでお返事を下さった方が何人かいらっしゃり、そうしたことが、くじけそうになった時の支えになりました。
最終的にはまずはアメリカに行こうと決心し、最初はUDC(ザ・ディストリクト・オブ・コロンビア大学)から始めました。1学期終えたところでアメリカ・カトリック大学に編入しました。条件がそろい次第、試験を受け、こちらのRN(レジスタード・ナース)という看護師の免許を取得しました。その後、バージニアのメリーマウント大学の看護学部に編入して1999年に卒業しました。
ー留学中の生活費はどうされていたのですか。
主には母が助けてくれました。私の留学に関しては、不安や迷いもあったと思いますが、少ない収入をやりくりして、奨学金を借りたり返したりしながら援助してくれました。私も当時、日本のグッズを売るお店で働いたり、ベビーシッターをしたりして、わずかな収入を得て生活の足しにしていたのですが、母の援助がなければあの頃の生活と大学卒業は実現しなかったし、今の私もなかったと思います。母にはとても感謝しています。(以下、次号に続く)
圓岡悦子(まるおか・えつこ) プロフィール
1966年、山口県山口市生まれ。1988年、山口赤十字看護専門学校卒業。看護師として地元の日赤病院に勤務。1992年のセビリア万博で国際赤十字のボランティア活動。国際救護員としてのトレーニングを受け、93年には公衆衛生の仕事でスリランカに半年間派遣される。96年、米国に留学し、メリーマウント大学を99年に卒業。看護学 学士号取得。ジョンズ・ホプキンス病院勤務を経て、モンゴメリー郡の学校保健課に入りスクールナースを12年間務める。その後、3年半、学校保健課のナースマネジャーとして勤務、3年間地域保健課勤務を経て、2019年にメリーランド・ユニバーシティ・オブ・インテグレーティブ・ヘルス(MUIH)に入学し鍼灸や東洋医学を学び、鍼の修士号取得。卒業後、23年にシルバースプリングにクリアースプリング鍼灸院を開設。家族は夫と息子一人。
鍼灸院のウェブサイトはwww.clearspringacupuncturemd.com
2024年11月号(第357号)
今週のデジタル版を読む
紙面から
年賀状コンテスト募集開始(2面)
「世紀の接戦」総動員態勢(3面)
ZIPAIR、成田~ヒューストン線3月就航(5面)
ヒューストンお店探訪・Glow Up MD(6面)
銀座おのでらが11月16日に開店(11面)
JICC年賀状コンテスト
締切12月13日
日本大使館広報文化センター(JICC)は恒例の年賀状コンテストを開催する。今年で14回目を迎えた。 米国外からの応募も見受けられ、最近は学校のクラスで取り組むところも出てくるなど人気が高まっている。
コンテストは、ジュニア(0〜11歳)、ユース(12〜17歳)、アダルト(18歳以上)の3つの部門に分かれており、各部門から最優秀賞1人と次点1人が選ばれる。さらに、「最もクリエイティブ」、「最も伝統的」、「JICCスタッフのお気に入り」の各部門で佳作が選ばれる。
審査はJICCスタッフと日本大使館の他の職員によって審査される。
最優秀賞受賞者3人には新年を祝う日本の伝統的な福袋が贈られる(海外在住者除く)。 対象となるすべての作品は来年1月中、JICCに展示される。
●応募の決まり
作品=一人1作品のみ。ポストカードのサイズである4×6インチの大きさで、.jpg、.jpeg、.png、.pdfのデジタルファイルで送る(HEICは不可)。 デザインには①ヘビ(2025年の干支)②巳(十二支にある蛇の漢字)③2025年(和暦では令和7年)の3つが含まれる必要がある。また、漫画・アニメなど著作権で保護されている画像やアートワークから取られたものではなく、コンテスト参加者のオリジナルアートワークでなければならない(盗作または著作権侵害の疑いのあるデザインは予告なしに失格となる)。
方法= jicc@ws.mofa.go.jp宛てに電子メールで送信する。メールに名前、年齢、居住地(市、州、国)を明記する。また13歳未満の場合は親または保護者の書面による同意が必要。
締切=12月13日(金)午後5時(東部時間)
詳細・問い合わせ=日本大使館ウェブサイトからJICCに入りNENGJO2025まで。
(写真)2024年成人部門優勝のレイチェル・Sさんの年賀状
ZIPAIR Tokyo 東京(成田)〜ヒューストン線、来年3月4日に開設
ZIPAIR Tokyo(ジップエア・トーキョー)は東京(成田)〜ヒューストン線を来年2025年3月4日に開設する。航空券の販売は10月10日から始まった。同社として最長距離の路線となる。これにより北米路線は、ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンノゼ、バンクーバーを合わせた5路線週27往復に拡大する。
東京(成田)発、ヒューストン発ともに火・木・土・日曜の週4往復を運航する。機材はボーイング787-8型機で、フルフラットになる「ZIP Full−Flat」を18席と、普通席「Standard」272席の計290席を配置した。
ヒューストン発の片道運賃は、「ZIP Full-Flat Value」が1683ドルから、「Standard Value」が458ドルから、6歳以下向けの「U6 Standard Value」が169ドルから(いずれも税込み、10月28日時点)。
日本発の片道運賃は、Full-Flatが19万8923円から、Standardが4万9423円から、U6 Standardが2万4203円から(いずれも税・空港料金、大人1万392円ないし子供9203円込み、10月28日時点)。燃油サーチャージは設定していない。
運賃には航空券+機内手荷物(7㎏)が含まれている。有料サービスとして座席指定、機内食、受託手荷物(30㎏まで)などを別で販売しており、利用者が自分に合うパッケージを選べるようになっている。
就航を記念したキャンペーンとして、片道運賃を3万9千円(333ドル)から販売している。搭乗期間は25年3月4日から29日まで。詳細・購入はウェブサイトwww.zipair.net/enまで。
■運航スケジュール
あなたの肌年齢は何歳?
韓国の最新美容医療をヒューストンで
夏の紫外線による肌のダメージが気にかかるこの季節。ケイティーにある、肌の3Dスキャン診断を行ってくれるメディカルスパ「グローアップMD」へ足を運んだ。
顔を3方向から撮影し、肌の水分量を量ると、シミ、肝斑、シワ、毛穴、たるみなどの要素をものの30秒ほどで分析し、現在の肌の状態を数値化した肌年齢を算出してくれる。「実年齢+1歳ですね。悪くない数値です」。たるみの方向や強さから睡眠時の姿勢まで指摘され、思わずドキリとする。
グローアップMDではこの診断結果をもとに、個々の悩みに合わせたカスタムパッケージを提案する。美容大国韓国で人気の美容医療メニューが充実しており、最近では、高周波エネルギーを用いた最新たるみ改善治療「オリジオX」が導入されたほか、ピーリングや脱毛などのメニューから毎月一つ選べるインナーサークルメンバーシップ(月169ドル)など、お得な会員制度もある。
特筆すべきは、認定先端美容医療専門医のアンジー・キム先生が直接施術を行うということだ。米国では近年メディカルスパと銘打って、その実専門資格をもたない者が施術を行うケースも多く、安全性が懸念されている。しかし同クリニックでは、アジア人特有の肌質に精通した韓国人医師のキム先生が全ての施術に関わる。
「アジア人の肌はメラニン生成能力が高く、また外部刺激に敏感です。例えばシミ治療は、少しずつ慎重に治療しないとかえってシミを増やすことになりかねません。3セッションを基本としていますが、状態よっては4回、5回と追加料金なしで治療を行います。私たちはエステメニューを売っているのではなく、患者様の悩みを治療することが目的です」とキム先生は説明する。
2022年9月の開業から3年目を迎えたグローアップMD。韓国から遠く離れたヒューストンで、韓国の最新美容医療を安全安心に受けられるのは、米国在住の日本人にとっても大変有難い。この秋、まずは無料の3Dスキャン診断で肌年齢を知ることから始めてみてはどうだろうか。 (久)
(写真)キム先生(左)とクリニック・マネージャーで夫のジミーさん
Glow Up MD
1227 Grand West Blvd, B212
Katy, TX 77449
(713) 281-1354
glowupmdspa.com
廻転鮨 銀座おのでら
ヒューストンにオープン
東京銀座に本店を構える「銀座おのでら」が、回転鮨業態としてアメリカ2店舗目となる「廻転鮨 銀座おのでらヒューストン店」をウェストチェース区WoW(West on West)にオープンする。11月16日(土)午前11時30分頃より営業を開始する。
木目調のモダンで落ち着いたインテリアの店内にはカウンター席とテーブル席を合わせて83席あり、一人でもグループでも利用しやすい設計となっている。 回転鮨とはいえ鮨は回っておらず、テーブルに設置されたタッチパネルでオーダーすると高速レーンで運ばれてくるシステムだ。豊洲直送の新鮮な魚を使用した江戸前鮨が1貫2ドル台からと手頃な価格で楽しめるのが魅力。なかでも看板メニューは鮨の名店御用達の「やま幸(ゆき)の本マグロ」だ。
オープンから3日間はこの本マグロ3貫セットが特別価格で提供されるほか、先着300名全員に食事券があたる抽選も行われる。また、銀座おのでら総料理長の坂上暁史氏も応援に駆け付け、パフォーマンスを披露する予定だ。
テキサス事業本部本部長の石川直也さんは「食材の品質には絶対の自信があります。特に銀座おのでらの目玉である本マグロは、アメリカの皆さんにぜひ味わってほしいのでお値段を抑えてご提供していきます。アメリカの旗艦店を目指して盛り上げていきたいと思っています」と意気込みを語る。
WoWには銀座おのでらのほか、つけ麺が人気のつじ田や、韓国系ベーカリーのパリス・バケット、台湾発タピオカティーのThe Alley、アジアの食材や日用品を取り揃えるTESOなど、アジアの人気店が多数出店する。ヒューストンの新たなホットスポットになりそうだ。
Kaiten Sushi Ginza Onodera Houston
12270 Westheimer Rd, Suite100,Houston, Texas 77077